北国街道・小諸宿
Hokkoku Road Komoro-Juku station
Hokkoku Road Komoro-Juku station
北国街道は、江戸時代初期に開かれた五街道に次いで重要な街道として整備されました。この街道の宿場町「小諸宿」は、今も往時の風情を残す町並みが残ります。 小諸には、古代より東山道が通り、奈良時代になると勅使牧「望月牧」「塩野牧」が置かれ、盛んに都との往来があり、古くから東西への交流がある地でした。 [信仰の道] 北国街道の一部は、善光寺道とも言われ、古くから善光寺参りの道でした。また、「牛に引かれて善光寺参り」伝説の布引観音もあります。 [金の道] 江戸幕府により佐渡金山が開発されると、北国街道は「金の道」となりました。 [参勤交代の大名行列] 江戸幕府により参勤交代が制度化されると、北陸諸国の大名行列が北国街道・小諸宿を通りました。小諸宿には、本陣や脇本陣、宿場町の町並みの一部が今も当時のまま残っています。
信濃・善光寺は、日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来の秘仏を本尊とし、「遠くとも一度は詣れ善光寺」と古くから語られるほど、全国から信仰を集めています。小諸は、「牛に引かれて善光寺参り」伝説ゆかりの「布引観音」があります。
また、源頼朝が鎌倉から善光寺に通った道を「鎌倉街道」と言い、小諸にも頼朝が立ち寄ったと伝わっています。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで東軍の徳川家康が勝利すると、翌年の慶長6年(1601年)、家康は佐渡の金銀鉱山を領有します。慶長8年(1603年)、徳川家康が征夷大将軍になり、江戸幕府を樹立すると、間もなく北国街道を「金の道」として整備を急ぎました。そして、この「金の道」は、その後の江戸幕府の財政を大きく支えることになる重要な街道の一つとなりました。