小諸城主「仙石秀久」と蕎麦切り
Soba
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豊臣秀吉は、小田原征伐により天下を統一すると、秀吉子飼いの戦国武将「仙石秀久」を小諸五万石の城主とします。仙石秀久は、美濃の生まれ、織田信長に見出され、秀吉の配下となりました。各地を転戦していた仙石秀久ですが、見知らぬ信濃の国「小諸」に来る事になると、まず地元、小諸のそばを「そば切り」にして領民に広めたと言われています。また、まちの発展のために城下町や街道を整備し、殖産興業にも尽力。城下の神社に足しげく通うなどして、領民には、親しみをこめて「仙石さん」と呼ばれていたと伝わります。
但馬国「出石」(兵庫県豊岡市出石町)に、出石焼きの小皿に一口の蕎麦を盛って食べる「皿そば」が知られています。 これは、小諸城主だった仙石秀久が、江戸時代になり小諸藩初代藩主になリましたが、外様大名である仙石家は、その後、但馬国出石藩に転封、そこで信濃国から蕎麦切りを伝え、地元の出石焼きの小皿を使って「皿そば」となったと言われています。