北国街道・小諸宿みどころ│与良町・荒町エリア北国街道・小諸宿みどころ│与良町・荒町エリア

北国街道

 与良町は、戦国時代末期に行われた村寄により、農民や職人が集められてできた町です。宿場の中心から離れ、ゆったりと間口奥行の大きい屋敷が多い点が特徴で、江戸初期から残る建物もあります。荒町は、江戸時代になって与良町から「新町」として分かれ、その後「荒町」となりました。

 
小山家 (江戸初期)

小山家 (江戸初期)

小山家は、江戸時代に庄屋を務めた家で、当時の門扉や玄関、通り土間、藩主が訪ねた時などに使う式台玄関や上段の間など、代々受け継がれ残されています。
 
北国街道与良館 (江戸後期)

北国街道与良館 (江戸後期)

江戸時代には「松屋」という屋号で、漆器屋を営業。奥行のある敷地と段差を活かして、蔵や庭が配置されており、江戸の屋敷の様子を伝えています。明治時代、主屋裏には小諸城の銭蔵が移設されています。
 
中吉 (江戸末期)

中吉 (江戸末期)

文久3年(1863年)の資料に、穀屋・吉十郎とあります。その後、明治から昭和初期まで紙問屋として栄えました。庭や座敷など、昔ながらの建物の部分が多く残されています。
 
与良家 (江戸初期)

与良家 (江戸初期)

街道から奥まった所の一段高い所にある門をくぐると大きな茅葺き屋根の主屋がある屋敷で、江戸時代の地主を務めた家です。現在は個人住宅です。門の外からご見学ください。
   
荒町・嶋田屋 (江戸末期)

荒町・嶋田屋 (江戸末期)

嘉永5年(1852年)頃の建物で、厨子二階にある虫籠窓が特徴です。軒を切ることなく、昔の姿をよく伝えています。現在も続く嶋田屋は、安永4年(1775年)ころから荒物の商いをおこなっていましたが、明治中期には、下駄・草履の製造も始め、下駄問屋として日本一の規模であったとも言われています。主屋の裏には、二階建ての離れの座敷があり、中庭の瓢箪池を見下ろします。