小諸市観光案内所 9:30~17:30 電話:0267-22-0568

小諸城址・懐古園
Komoro castle・Kaikoen Park

小諸城址・懐古園

【日本100名城、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選】 小諸城址 懐古園

~日本唯一といわれる「穴城」小諸城址に加えて、
美術館や記念館、動物園や遊園地なども整備された、小諸駅から徒歩3分の複合観光エリア~

武田信玄の命により、小諸城は平安時代に起源をもち、戦国時代に山本勘助らによって縄張りがされ、原型が整備されたといわれています。明治4年(1872年)の廃藩置県で廃城となった小諸城は、その後、小諸藩の元藩士らによって明治政府から買い戻され、大正15年(1926年)には、明治神宮の森や日比谷公園も設計した本多静六により、近代的な公園に生まれ変わりました。日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選にも指定されています。

懐古園内や周辺エリアでは、四季折々の美しい情景のなかに小諸城の面影を堪能できるばかりでなく、美術館や記念館、動物園や遊園地もお楽しみいただけます。

  • 住所:長野県小諸市丁311
  • 電話:0267-22-0296
  • 休園日:12~3月中旬は水曜日定休、年末年始(12月29日~1月3日)(※遊園地は12月1日〜3月中旬 休園)
  • 開園時間:9:00~17:00(動物園と遊園地を除く園内各施設共通)
  • 動物園   平 日:9:30~16:30 休 日:9:00~16:30
  • 遊園地   平 日:9:30~16:30 休 日:9:00~16:30

利用料

利用区分
(利用できる施設)
単位 料金
共通券
  • 懐古園内散策
  • 動物園
  • 藤村記念館
  • 徴古館
  • 小山敬三美術館
  • 小諸義塾記念館
※共通券1枚で上記施設全てご覧いただけます
個人 大人 1人1日につき 500円
中学生以下 200円
団体
(20人以上)
大人 400円
中学生以下 150円
散策券
  • 懐古園内散策
  • 動物園
個人 大人 300円
中学生以下 100円
単独券
  • 徴古館
  • 小山敬三美術館
資料館ごとの窓口において単独券をお求め下さい。
個人 大人 1人1回につき 200円
中学生以下 100円
利用区分
(利用できる施設)
共通券
  • 懐古園内散策
  • 動物園
  • 藤村記念館
  • 徴古館
  • 小山敬三美術館
  • 小諸義塾記念館
※共通券1枚で上記施設全てご覧いただけます
単位 料金1人1日につき
個人 大人 500円
中学生以下 200円
団体
(20人以上)
大人 400円
中学生以下 150円
利用区分
(利用できる施設)
散策券
  • 懐古園内散策
  • 動物園
単位 料金1人1日につき
個人 大人 300円
中学生以下 100円
利用区分
(利用できる施設)
単独券
  • 徴古館
  • 小山敬三美術館
資料館ごとの窓口において単独券をお求め下さい。
単位 料金1人1回につき
個人 大人 200円
中学生以下 100円
  • 未就学の幼児は、保護者付添いの場合に限り無料です。
  • 散策券で入園後、藤村記念館に入館する場合は、単独券が必要になります。

駐車場利用料

使用時間 料金  
  大型自動車 普通自動車 自動二輪車 12時間を超えるごとに左記の金額が加算されます。
1台12時間以内 1,500円 500円 200円
使用時間
1台12時間以内
料金
大型自動車 1,500円
普通自動車 500円
自動二輪車 200円

※12時間を超えるごとに上記の金額が加算されます。

園内マップMap

園内マップ
小諸城の遺構関係
記念館・美術館関係
動物園・遊園地関係

日本唯一の「穴城」・日本100名城小諸城とはAbout Komoro Castle

日本唯一の「穴城」・日本100名城 小諸城とは

日本100名城の一つ、小諸城。浅間山から千曲川に至る、小諸の地勢を存分に活用した天然の要塞としての面白さを、今なお存分に味わうことができます。小諸城はその城郭が城下町よりも低い場所に位置する「穴城(あなじろ)」であり、これは小諸城が日本で唯一といわれています。

小諸城の歴史概略

【平安時代末期】

「平家物語」にも登場する源氏・木曽義仲の武将・小室太郎光兼が館を構えたのが小諸の城の起こりです。
(※「吾妻鑑」では「小諸太郎光兼」とされる。)

【戦国時代】

武田信玄の命を受けた山本勘助や馬場信房らが縄張りし築城したと伝わっています。この頃、小諸城は、別名として酔月城とも呼ばれていました。武田氏が滅びると、小諸城周辺は織田信長の将・滝川一益の領地となりましたが、信長が倒れると、北条氏が滝川勢を蹴散らして小諸へ侵攻しました。この後、しばらく徳川、北条、上杉に真田も加わり争奪が展開、やがて豊臣秀吉の仲裁もあり徳川氏の所領となりました。

【安土桃山時代】

その後、豊臣秀吉が、天正18年(1590年)小田原征伐で北条氏を討ち取り、天下を統一すると、徳川家康が関東に転封され、仙石秀久が小諸五万石の大名として小諸城主となります。秀久は、秀吉の許しを得て、本丸に桐紋の金箔瓦を使った三層の天守閣を備えます。現在では当時築かれた天守台に「野面石積(のづらいしづみ)」の石垣だけが残っています。

慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」に中山道を進んだ徳川秀忠の東軍が小諸城に入ります。この時、西軍・真田氏の上田城を攻めた「第二次上田合戦」では、秀忠軍が苦戦の上に敗退、天下分目の合戦だった関ヶ原にも遅参してしまうという逸話で知られています。

【江戸時代】

江戸時代になると、小諸藩の初代藩主となった秀久は、現在もその姿を残す大手門や石垣などの城郭整備をはじめ、小諸の城下町や街道の整備をおこないました。仙石氏が上田藩(長野県上田市)に移封されるまでの32年の間に現在の小諸の町の原形が築かれました。その後、小諸城の城主は徳川・松平氏などに変わり、与板藩(新潟県長岡市)から移封された牧野氏が十代・170年に渡り藩主を勤めました。

【明治時代】
明治時代になり、廃藩置県で役割を終えた小諸城には「懐古神社」を祀り、三の門より城内を「懐古園」と名づけられました。
【大正時代】
大正15年(1926年)には、造園の権威・本田静六の設計により、近代的な公園に生まれ変わりました。

園内と周辺の見どころIn-range information

大手門(国・重要文化財)(懐古園から徒歩3分)

大手門(国・重要文化財)(懐古園から徒歩3分)

小諸城の正門として、仙石秀久によって創建されました。創建は慶長期から元和期(1596年~1623年)といわれています。華美な装飾をはぶいた質実剛健な建築は、東日本を代表する大手門建築の一つです。明治期には、民間に払い下げられ、料亭や小諸義塾の仮校舎として使用されていた時期もありましたが、平成に入って小諸市に寄贈されました。その後、約5年をかけ平成の大改修、復元修理を経て、仙石秀久による創建当時の姿に甦っています。

三の門(国・重要文化財)

三の門(国・重要文化財)

慶長期から元和期(1596年~1623年)に、仙石秀久によって創建されました。寛保二年(1742年)に千曲川流域を襲った「戌の満水(いぬのまんすい)」のとき、城下を流れる中沢川などの土石流により城下町の一部と共に流出しました。その後、明和2年(1765年)に再建されました。寄棟造りの二層の渡り矢倉門(多聞矢倉門)で、石垣も切込みはぎの石積みによって再建、築かれています。

徴古館

徴古館

江戸末期、明治時代の廃藩置県まで小諸藩主であった牧野家や藩士らに伝わる文化財を中心に甲冑、刀剣などの武具、着衣、古文書などが所蔵されています。特に小諸藩主牧野家の家宝として伝えられてきた「喜内様(徳川家光)・お福様(春日局)の木像」は日光東照宮の「眠り猫」でも有名な、彫刻職人の左甚五郎によるものです。勝海舟、山岡鉄舟、伊藤仁斎の書なども所蔵されています。

懐古神社

懐古神社

小諸城は明治4年(1871年)の廃藩置県で廃城となり、明治政府が民間に払い下げることになります。小諸城が荒廃していく様を憂いた小諸藩の元藩士らが資金を集め、小諸城三之門より城内を買い取りました。そして、本丸跡に祀ったのが懐古神社です。紅葉ヶ丘に城の鎮守神として祀られていた天満宮(菅原道真公・天神様)と火魂社(火之加具土命・荒神様)、及び、歴代の小諸藩主の霊が合祀されています。

鏡石

鏡石

武田信玄の軍師・山本勘助が小諸城築城時に使用したと伝えられている石です。勘助は朝夕この鏡石に自分の顔を映して内省したといわれています。

二の丸跡

二の丸跡

慶長5年(1600年)天下分目の決戦「関ヶ原」に向かうべく、東軍の軍勢3万8千を率いて徳川秀忠が信州に入ると小諸城主・仙石秀久は、秀忠を小諸城の二の丸に本陣を構えお迎えしました。二の丸は、北西に西軍の真田昌幸・幸村の居城・上田城方面を見渡す場所です。

秀忠は、上田城開城を迫りましたが、のらりくらりと返事を先延ばしする真田昌幸に激怒し、上田城攻略を命じます。ところが上田城に籠城する真田軍わずか3千5百の兵力に翻弄され決着がつきませんでした。そこで小諸城内にあった海應院の住職が仲立ちし真田と和睦します。この上田合戦で小諸で足止めされ、秀忠軍は「関ヶ原の戦い」に遅れてしまったのは有名な逸話です。

黒門橋と紅葉谷

黒門橋と紅葉谷

当時は算盤橋であったといわれ、有時の際には場内に引き込み、敵の侵入を防ぐことができました。黒門橋がかかる空堀は、左右の田切地形の谷をつなぐように人の手で堀られた数少ない堀です。深さは、橋下約8メートルほどであったといわれています。現在は、紅葉谷と呼ばれています。

天守台

天守台

本丸を囲う石垣は約6メートルの高さに築かれていますが、特に北西隅に迫り出した天守台の石垣は、一段高くひとまわり大きな野面石積みで築かれています。豊臣秀吉天下統一の後、この天守台には金箔瓦で葺かれた三層の天守閣がそびえていたといわれます。また豊臣秀吉の五三の桐紋をあしらった軒丸瓦などが遺されており、秀吉子飼いの戦国武将、仙石秀久が小諸城主であったとき、関東に移封された家康に対して西の備えとして築かれたと考えられています。しかし、寛永3年(1626年)に落雷により焼失後に、幕府の許しが得られず再建されることはありませんでした。

水の手展望台と水の手門

水の手展望台と水の手門

小諸城は千曲川の断崖の上に築かれ、この千曲川を眼下に見下ろす眺めのよい展望台です。千曲川の流れに沿って、布引観音の崖地や御牧ヶ原台地が眺められます。小諸城の本丸西の守りは、千曲川が深く削った谷で、天然の要害です。小諸城は、曲輪が直線的に並ぶ連郭式城郭で、背後はこの千曲川の断崖で守られる後ろ堅固の城でした。

水の手展望台の左下手にあった水の手門は、小諸城の裏門です。遠見番所もありました。城内まで敵が攻め込んで来たとき、最後に、この門を出て眼下の千曲川に逃れることができたといいます。このことから「水の手門」と呼ばれました。城内に敵が攻め込んでくることのないように祈願して「不開(あかず)の門」とも呼ばれました。

富士見台

富士見台

遠見番所があった場所です。晴れた日には遠くに富士山を見ることができます。甲斐の武田信玄は、上越の上杉謙信の動きを知らせるために、狼煙台を各地に築きました。川中島の合戦があった長野市から、信玄の甲斐国まで、現在約2時間半で狼煙の知らせが伝わったといわれています。

馬場

馬場

馬場では城主が乗馬の鍛錬をしました。馬上から弓や槍を振るうために、手綱に頼らずに戦う鍛錬が必要でした。現在では多くの桜の木が植えられ、桜の時期には「日本さくら名所100選」にふさわしい桜の雲海が馬場に広がります。

小諸市の開花を告げる「観測の木」や、また小諸特有の「小諸八重紅枝垂」の原木はこの馬場にあります。

藤村記念館

藤村記念館

日本の自然主義文学を代表する島崎藤村が小諸時代に残した文化財を中心に展示する記念館です。記念館の建物設計は、帝国劇場も設計した谷口吉郎で、高雅で簡素な趣があります。

島崎藤村は恩師の木村熊二に招かれて、小諸義塾の講師として、明治32年(1899年)に小諸に赴任し、それ以降約6年間を小諸で過ごしました。その間に短編『雲』『旧主人』を発表、大作の『破壊』を起稿しました。藤村の、詩人から小説家への転向においては、小諸での生活が大きな転機になったといわれています。

記念館館内には、藤村直筆の「千曲川旅情のうた」「破戒」(第一章)の原稿、藤村が愛用した茶器などの生活用品、藤村が添削した小諸義塾生徒の作文帖などのほか、「千曲川のスケッチ」「破戒」「落梅集」の初版本も所蔵されています。

小諸義塾記念館

小諸義塾記念館

明治26年(1893年)に、小諸の青年らの熱い要請に応えて、明治女学校の創立者の一人であった木村熊二によって開塾されました。自由主義的で、人物養成を目指す私立学校でした。木村の教え子である島崎藤村をはじめ、東京物理学校(現東京理科大学)創立者の一人である鮫島晋、明治から大正にかけての水彩画の先駆者である三宅克己や、丸山晩霞などもここで教鞭をとりました。

記念館館内には、小諸義塾の徽章、使用された教科書、在学生の集合写真、年度ごとの在学生の記録など、当時の様子をうかがい知るこができる資料が展示されています。

小山敬三美術館

小山敬三美術館

小山敬三画伯(文化勲章受章、小諸市名誉市民)が、昭和50年(1975年)に建設し、作品とともに小諸市に寄贈した美術館です。慶應義塾大学を中退し、島崎藤村の勧めでフランスに留学した画伯の作品はすでに在仏中から高く評価されていました。

美術館内には、画伯が中学時代に描いた「盛夏樹林」、「浅間山黎明」に代表される浅間山シリーズ、「初夏の白鷺城」を含む城シリーズ、、「ブルー・ド・ブルガリ」などの肖像画、その他、水彩画、デッサン画、風景画などの作品が約200点が所蔵されています。

美術館の設計は、建築界の巨匠・村野藤吾氏によるもので、建物、絵画、眺望の集合美をかなえた美術館です。

小諸市動物園

小諸市動物園

大正15年(1926年)に開園しました。長野県内では最古の動物園であり、国内でも上野動物園(東京)、京都市動物園(京都)、天王寺動物園(大阪)、遊亀公園付属動物園(山梨)に次いで5番目に開園した歴史のある動物園です。

作家の村上春樹さんがウェブサイトで「優しい目をしている」と記したメスライオンのナナちゃんもこの動物園に暮らしています。飼育員さんたちによる手作りの動物の説明書きや、動物へのエサやりタイムやムササビのお世話タイムといった動物と実際に触れあうイベント、また、ペンギンへの「流しアジ」やナイトズーといった楽しいイベントもたくさん開催されています。

小諸市児童遊園地

小諸市児童遊園地

児童遊園地には、ツインドラゴン、スワンサイクル、スペースジャイロ、メリーゴーランド、ジェットスター、コーヒーカップ・豆汽車・子ども用電動カートなどがあります。小さな子どもさんが、ちょうど楽しみやすいタイプの乗り物ばかりです。大人もらんらん♪とほっこり楽しめる遊園地です。

遊園地への入園は無料ですが、遊具に乗る際は1回1枚ののりもの券(1枚200円)が必要になります。のりもの券は園内の券売機でお買い求めください。

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天然の要塞 苔むした石垣 お城だけにとどまらない文化の香り 名物人力車「轟屋」 小諸センゴク甲冑隊

ココ!天然の要塞

天然の要塞

小諸城は自然を活かした要塞。
浅間山麓の周辺地域では、約一万数千年前の浅間山の噴火で流出した火山灰や軽石層が、その後の雨や河川の増水によって削られ、そこかしこに深い谷がつくられました。
小諸城は、この自然の力でつくられた「田切」地形を天然の堀として、水を溜めていない「空堀」によって城が守られています。城のなかでもっとも深い田切は「地獄谷」と呼ばれています。城の後ろ側は、千曲川に続く、火山灰土の絶壁となっていて、火山灰土の、崩れやすく、また、滑って登りにくい性質を利用して、敵の侵入を防いでいます。これが、小諸城が、「後ろ堅固」といわれるゆえんです。

城の一番後ろにせり出した「水の手展望台」からは、この絶壁の様子を眼下に望むことができます。この展望台は、千曲川や対岸の御牧ケ原台地も一望できる絶景スポットです

ココ!苔むした石垣

苔むした石垣

小諸城の石垣は、それぞれの石が丸みをおびて、不規則な形をしています。
これは、「野面積(のづらづみ)」とよばれる石垣づくりの方法のひとつ。自然の石を積み上げて石垣にする方法で、全国で石垣が築かれるようになって比較的初期(戦国~安土桃山時代)のお城に多くみられるものです。

一見すると、石が適当に積まれているようにも見えますが、実はそれぞれの石の大きさや奥行がよく計算されています。石垣に近づいて観察してみてくださいね!

不規則に石を積んでいく野面積の利点として、高い排水性があげられます。このため、園内には、雨による崩落をまぬがれてきた約400年前の築城当時の石垣の一部が今も残っています。新緑から梅雨の時期には、この石垣を覆う苔の緑が一年でもっとも美しく、特に天守台周辺の趣は、島崎藤村が詠んだ「小諸なる古城のほとり」のイメージにぴったり!

ココ!お城だけにとどまらない文化の香り

お城だけにとどまらない文化の香り

懐古園は、城跡ですが、どことなく穏やかでしっとりした空気感が醸し出されている場所です。園内には、日本の自然主義作家の大家である島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」で有名な「千曲川旅情の歌」の歌碑や記念館、新進気鋭の教育者である木村熊二によって開かれた私塾・小諸義塾の記念館、高僧であるにも関わらず20年余りにわたって懐古園で草笛を吹き続けた横山祖道の草笛の音の再生機があります。また、若水牧水、高濱虚子、臼田亜浪らの旬碑めぐりを楽しまれるお客様もいらっしゃいます。

そして、少し足をのばすと、小諸出身で文化勲章を受章した昭和期の洋画家である小山敬三画伯の美術館も。文学女子、アート女子、オトナデート派にもおススメの穴場スポットなんです。

ココ!名物人力車「轟屋」

名物人力車「轟屋」

「それでは、参ります!小諸城、大名道中、いざ!参ります!エイサ!エイサ!・・・」訪れるお客さまの楽しさを倍増するのが、名物人力車「轟屋(とどろきや)」さんです。

「こんなに坂を上り下りする人力車ははじめて乗った」とお客さまに言わしめる、坂の町・小諸をご案内する人力車。出会ったお客さまに「忘れられない時間」を過ごしていただきたい、と、俥夫(しゃふ)さんは、そのおもてなしを工夫しています。園内のご案内はもちろんのこと、お客さまの年代に合わせた内容で草笛の演奏や、歌も歌ってくれます。俥夫さんの温もりある人柄とすてきな笑顔にも触れてください。

ココ!小諸センゴク甲冑隊

小諸センゴク甲冑隊

懐古園の桜まつりや紅葉まつり、近隣市外イベントで出会える小諸センゴク甲冑隊。鈴なり武者で知られる、小諸城主仙石家初代・仙石秀久をモチーフにした甲冑隊で、第二次上田合戦で小諸城に本陣を置いた徳川軍総大将徳川秀忠や、初期の小諸城を築城した山本勘助も加わる精鋭部隊です。桜、紅葉のシーズンには甲冑野点(のだて)を披露しながら、小諸城の歴史を紹介しています。海外からのお客さまや地元の子どもさんたちにも大人気です。

立派な甲冑は、実は、ボール紙で手作りしているものもあるんです!それぞれの武将のキャラが違うのも大きな魅力。怖がらずに、ぜひ近くに行ってお話してくださいね。パチリ、一緒に記念撮影も忘れずに。